■ 定型パターン112019.1.5

 ところで、幼児が歩き始めたとき(一生懸命から少し余裕が生まれた時期)定型パターンのきざしは現れているのだろうか?
私は、健常成人では日常生活活動の運動スキルが熟練段階に(少なくともそれに近い水準に)到達しているからこそ複数課題の同時進行が可能なのであり、定型パターンはその必要性に基づいて採用された姿勢戦略ではないかと考えてきた。
 さらに、老年期に入ると次第に生活活動の多様性が狭まり、活動のスピードも減衰してくるにもかかわらず、むしろ姿勢調整の簡略化のような形で積極的に定型パターンが活かされているのではないかと推察してきた。長年同じように反復するなかで習慣的な運動パタンの組織化が行われているのではないかということだ。
健常成人では疲労しているとき、あるいは精神的にふさぎ込んでいるような状態にあるときや、緊張状態で身体をこわばらせているときこの定型的な姿勢緊張の非対称性が亢進する傾向が認められる。
要するに自らに行為を強いるとき(いわゆる労働)にはその姿勢と運動は定型的なパターンに傾くと言えるのではないだろうか。
それこそ長年環境適応講習会で行ってきたバンザイの運動課題でも被験者は自身にその運動を強いているわけだし、自分の意志で行う運動も結局は環境や課題の必然性に基づかないまま行われるのであれば自身に向けた言語的な指示に従っていることになる。
 むしろ、定型パターンの要素を含まない運動発現の方がまれなのではないかと思われる。これまでにそのような例を多数取り上げてきた。
 このような傾向がいつから始まったのだろう。
もしや、幼児期から成人に至るまで、さらに一生涯を通して続けられている運動学習の中にその個々の学習の初期段階から、熟練性に必須とされる感覚情報の摂り込みに省略が、あるいは不完全性が含まれているのではないだろうか。


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