■ 定型パターンについて62018.2.22

5が途中のままですが、面倒になったので後回しにします。
決して考察に行き詰まったからではないです。
むしろ肩甲帯、肩甲上腕関節の人間的特殊性の方が現時点ではセミナーの中心課題でしたので文章化の作業を急ぎたいところです。

4をとりあえず整理してから5を書き込みます。

大幅な姿勢調整を必要としない範囲での熟練技能の発揮とはどのように理解すべきなのかという疑問について考えてみます。
5では肩甲帯の可動性の高さが多少(かなり)の力学的不自然さを解消(つじつま合わせ)してしまうので運動の組織化に当たって全身的にそれほど厳密な姿勢調整を求めなくてもすむだけの余裕を補償しているという意見を述べようと思っていました。

そのことを前提にして、もう一度我々の日常生活活動を思い返してみましょう。

我々の運動行動(仕草も含めて)の出来不出来には個人差があります。
てきぱきとしている人、のろまですること成すこと全てがだらしがないというかきまらない人などさまざまです。

 私は小学生の頃小林旭や宍戸錠といったタフガイの銀幕スターにあこがれてそのかっこいい一挙主一等卒をまねてその気分に浸ったりして遊びました。まわりの友達も同じです。
 田舎の悪ガキどもが辿りついた結論というか、かっこよさの秘訣は今考えてもなかなか的確な物だったと思います。
 要するに何をするにつけぶっきらぼうに振る舞うということでした。たとえば帽子かけに帽子を掛けるにしても狙うそぶりも見せないでふょいと投げかける。そしてその帽子はぴたっとずっと前からそこにあったかのように収まってしまうなんていう空想です。当然本人はテーブルに向かう歩調は乱さないし、そこに注意も向けないで、周りの人間にかっこいい決め台詞を投げかけていなければまりません。

 まさに大人っぽい熟練技能の同時進行です。そのタフガイが行っているのはそれだけではないですね。当然このような場面は正義のタフガイが悪のたまり場みたいなところに乗り込んで大暴れを始めるという筋書きの序章みたいなものですから、タフガイは目線でまわりを威圧し悪漢どもをその場に凍り付かせながら、状況判断をしつつ、その帽子の仕草で自分はただ者じゃないのだから下手のことをするとけがするぞと脅しているわけです。

 私のあの頃の白日夢を思い出すと、タフガイはゆっくりとした歩調で部屋に入ります。注意は部屋に散らばっている数人の悪漢どもの気配に向けています。
状況を周辺視野に捉えながら帽子(テンガロンハット)に手をやります。
扱い慣れた帽子の重量感を手首の返しで捉えつつ、視野の端で捉えて位置関係を捉え済みの突起に向けて飛ばします。おそらくさすがに投げている手のがわが立脚となる歩行周期に合わせるぐらいのことはせざるを得ないでしょう。

 狙った的に帽子を当てるにはスキルが必要です。
初心者が輪投げの輪をポールに投げるときは、慎重に身構えて全身の重心移動まで計算に入れて目線をそらすこともありません。
輪にどれだけの慣性重力をあずけるのか手応えで調整します。厳密な方向定位も心がけます。
 熟練した時点ではそれらが必要なくなるのですから、感覚情報の収集に省略が可能になったと言えます。
わずかな情報からおおよその行為進行状態がつかめるし運動の組織化が可能だと言うことです。

 これ以上議論を展開する必要もないと思います。我々の運動行動が複数の目標に向かって同時進行的に組織化されている背景にはこんなことがあると言えそうです。

 ただし、バロックの音楽で複数の楽器がそれぞれ独自の旋律を奏でながら全体としても美しい、心地よいまとまりを湧き上がらせるのと同じように、複数の運動行動には一見関連がないように見えながら、実は否応なしにそれらは関連づけられながら進行していると理解すべきだと思います。


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