■ 19 1) 人間の運動行動のどこが特別なのだろう2017.4.30

 私は終わるまでにはもう一度環境適応についてまとめてみたいと思い続けてきた。タイトルは「環境適応の視点」
このコラム書き始めるには現在が煩雑すぎるので書きためているメモの一部を貼り付けることで勘弁してもらおうJ君それでいいかな?

 我々が無意識にでも身体の自由を感じていられるのは日常の範囲では一応必要課題がこなせているからだ。もちろん初めてのことを行うときは、すべてうまくやりきるというわけには行かない。しかし、だからといって自分の身体が不自由だと考えることはほとんどない。試行錯誤ができるから、かもしれない。
最も有力な根拠であろうと思われるのは、我々が自身の行った運動をある程度再現して考え直すことが出来るからだろう。別の言い方をすれば、我々は或る運動行動を行っているときに、自身の身体活動をその発生原因とも言うべき課題から切り離して、要素的な関節運動に還元し、その組み合わせとして思考することが出来る(そう感じているに過ぎないのかも知れないが)からということではないだろうか。確かに、完全な再現ではないにしても日常的であったり、特別に練習を重ねて熟練段階に至ったりした運動技能についてはある程度考察することが出来る。
一方、要素的な関節運動ではなくて運動行動のあり方というか行為戦略の種類ぐらいの単位で言うのであれば、全ての動物が試行錯誤的なことを行っている。我々の日常生活活動もそのように内省ばかりを繰り返しているわけではない。大部分の運動行動は無意識的に推移しているわけで、これは、課題、個体、環境が織りなす相互作用関係にもとづいて組織される随意運動の特性だ。
つまり、人間の運動行動もまた(おそらく)他の動物と同様にして、その大部分が無意識的に環境との相互作用関係に促されるようにして遂行されているのであって、自分で感じているほどには自由でもないし、意識的な存在でもないということだ。
それでは、何故に人間は不完全であるにせよ意識的に運動を調整するというような能力を持つに至ったのだろうか。いずれにしても、これを獲得することによって人間は個人の運動技能を伝承可能にしたのであり、引いては人類発展の可能性が飛躍的に拡大する源となったと言えるだろう。もちろんもう一つの人間的な機能である言語の使用が人間の運動技能の発展や質的な変化に重要な役割を担ってきたであろうことも無視できないはずなので最終的に議論はそこに行き着かなければならないが、そのためにもう少し運動行動についての考察を進める必要があるだろう。
ところで、我々の日常活動においては、全ての課題遂行が滑らかに進行しているわけではない。気づいていないだけで無意識のうちに頻繁に躓くし、失敗もしているはずだ。そして、環境との相互作用関係にどっぷりとつかっているはずの他の動物種もまた、同じように頻繁に失敗を繰り返していることだろう。このように人間を含むあらゆる動物種は自然の成り行きに身をまかせている。あるいはそうせざるを得ないはずだ。
しかし、それでも先にも述べたように、すべてがそういう風に推移しているわけでもなさそうだ。優れた動物種は、ただ成り行きにまかせているだけではない。何らかの失敗をすれば、時にはそこから何らかの学習を積み上げることが出来る。つまりなんらかの困難性に出会い失敗を余儀なくされたとしても、再挑戦のときには行動様式を変更するか、同じやり方に固執せず、「迂回反応」というような戦略転換までしてしまうということだ。
人間はそのような能力に長けている。運動行動の戦略的転換はもちろん、代償的な運動の要素的な修正まで行ってしまうのだ。そして自分の運動行動を全く新しい内容にまで変容させる能力を獲得したと言えるのだ。そこに人間の随意運動における意識生の意味があるのだろう。
とにかく人間が取り得る行動様式は多彩で変化に富んでいて他の動物種には類を見ない別次元の域に達していると考えるのだ。
長い引用になるが私は別冊「肩甲帯上肢」で次のような考察を行った。
「私は人間の運動能力がある意味では他の動物種に例を見ないほど高い水準にあって、現在その文明の威力で地球の名主を自認する以前から、その身体能力によって、少なくともハイエナやオオカミ以上には恐れられる存在であったと想像している。別冊「体幹機能」では次のような記述でそのような身体能力についての例を述べた。
 『このフェイント行為は、おそらく一人芝居では不可能だ。かならすそのタイミングに至るまでの前奏曲に当たる期間が必要だろう。まず、自分の方から相手の動きのタイミングに合わせていき、相手と自分の呼吸が合った瞬間にその同期した状態からの逸脱を計るということになるはずだ。そして、その逸脱を悟られないための小細工は移動の根幹に触れない部分で同期し続ける運動を残すということだろう。たとえば、頭、腕など末端部をおとりに使い、重心移動に見せかけながら実は膝を僅かに曲げて沈み込むだけなどのだまし行為だ。…(柏木正好著:別冊柏塾ノート『体幹機能』2013)』



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